全ては"夢"が教えてくれた

全ては”夢”が教えてくれた

 サポート助産師のHさんが到着し、早速「赤ちゃん、ヘソの緒、会陰等」の状態を確認。『赤ちゃんも元気ですし、異常もないですね。会陰も少し切れている程度。出血もそうないですし大丈夫です』「そうですか。よかったー」そんな会話をしながら、Hさんは私のお腹を指先で押したりさすったりして子宮や胎盤の離れ具合を随時確認し、「後産」と言われる最後の出産作業”胎盤出し”に備えています。
 出産を終えて安心してると、何だか下腹部が痛い。酷い生理痛の様な痛みを時折感じる。余りの鈍痛に眉間からシワが消える事がない。何とか我慢していると「にゅるぅ…」と出ていく様な感覚があり「胎盤出ましたよ」とHさん。ひとまず出産終了で一安心。


 しかし前回は「いつ胎盤が出てきたのか」すらわからなかった程、痛み等一切無かったのですが…。陣痛が長く、その痛みの方が断然強かったからだろうか…。
 その後、長崎から助産師のKさんが到着、会陰の処置(ハーブの消毒液を霧吹くのですが、これが半端なく染みる!青唐辛子を塗り込まれ、焼け燃える様なヒリヒリ感!!)を済ませたら、ヘソの緒の脈が止まったのを確認し、「ヘソの緒」切りへ。準備してると「Sくんもしたい」と坊が連呼するのでKさんの「ヘソの緒」を挟み止める作業を手伝い、オットがハサミで断ヘソしました。それから前回同様、胎盤を刺身で頂いた後は(やっぱり砂ズリの様な、レバーの様な味で美味しかった・)体重・身長・頭周り等測定し、陰部の処置についてや明日から5日間のスケジュール(母体チェック、お風呂の入れ方、ヘソの緒の消毒、オイルマッサージ等々の手ほどき)指導を受けてこの日を終えました。

 今回の第二子誕生については「夢に始まり、夢に導かれる」。本当にその通りで、こんな事ってあるんだな、と思いました。妊娠が発覚する10日位前にオットの夢に現れ、名前が全く思いつかず臨月迄悩んでいたら再び夢で「果実系がいい!」とアピールし、私が取り上げるという産まれ方迄もやはり夢で教えてくれました。
 今回の件(トイレで陣痛逃しながら仕事してたら、そのままそこで産まれ、自分で取り上げた)という話をしたら、みんな驚きを通り越して「目が点」になっていました(苦笑)。古い友人は「何でjちゃん、又そんなネタみたいな事が…」とも。確かに私自身も驚いたのですが、周りが思う程大変でも、うろたえる様な事でもありませんでした。
 何故なら、第一子を授かった時に自宅出産の助産師さんを探すも出会えず、最終的には臨月前後にようやく出会えて引き受けてくれたから良かったものの、それ前迄「最悪このまま見つからなかったら自分で産もうかな。たまにニュースで”高校生がトイレで産んだ”とか”人知れず自宅で産んで…”とか聞くし」。と8割本気で考えている自分が居ました。読んでいた「妊娠・出産」の本にも「もし、病院以外で産まれたら」という項目もあり「その時の対処法」も書いてあってかなり読み込んでいたので、正直そう不安は無かったのです。(とはいえ、それがまさか現実になるとは思いませんでしたが)それに第二子だったので、心の余裕もあったのだと思います。
 しかし今回大いに反省したのは「陣痛が始まった時点で、勝手に”午後の満潮時間辺りに産まれて来る”と決めつけてしまった事」、これに尽きます。
 坊の時の満潮が23時42分、坊が産まれたのは23時37分とドンピシャであった為に「満潮に合わせて産まれてくる」、そう思い込んでいました。なので今回陣痛が始まった時点(8時30分過ぎ)で177に確認すると「満潮9時59分、21時31分」。『午前はあり得ないから21時か…』と夜産まれて来ると決め込み、疑いもしませんでした。
 今回の件で「全てがそうとは限らない」、と学習しました。よーし、次の子(可能であれば、3人は産む予定)の時は気をつけよう!そう心に決めるのでありました。

(*にーにゃ編集長jeek)

2007/10/01