前回のあらすじ
母乳の様々な話に入る前に「なぜこの様にミルクが主流になってしまったのか?」という「ミルク育児」へと変化した時代背景と歴史を紹介。日本には長く受け継がれた伝統・文化として家で出産し、母乳を与え、母子は常に一緒に過ごしていた「母子一体、母乳ほ育」があったのだが、戦後アメリカ文化が流れ込み、日本が経済大国へ突入していった昭和35年以降、病院分娩、出産後数日間は母子が別々という「母子分離、ミルク育児」へと移行、完全にシステム化されていった…。
アメリカの育児文化に洗脳された戦後の日本
赤ちゃんは産まれてから3日間、3時間ごとにほ乳瓶でミルクを与え続けられたが為に、柔らかくて簡単に飲めるゴム製乳首に慣れてしまい、いざ母乳を飲もうとしてもなかなか上手に飲めない児が増えていきました。
赤ちゃんは簡単に飲めるほ乳瓶に慣れてしまっている為、「ほら母乳を飲みなさい」と突然言われても上手に飲めない上、母乳自体が濃くなってしまったが故に「まずい母乳」となってしまっています。「飲みたくない、まずいよ!」と泣き叫んで訴えても、その訴えをなかなか分かってもらえません。赤ちゃんは「お腹がすいてるのに上手に飲めない上に母乳がまずい」という、二重の苦しみを味わいます。
お母さんはお母さんで部屋でハイカロリーのご馳走を食べ、静かに寝かされて産後3日間赤ちゃんにおっぱいを吸われていない為に乳腺は開かず、濃度の濃い母乳になる事で細い乳腺が詰まってしまいます。その為に腕も上がらない程おっぱいが痛んでそれが背中に迄および、その上ゴリゴリと痛いおっぱいマッサージをされるので、辛く、苦しい事ばかり。「こんな思いをするならおっぱいを止めたい!」となる始末。これらが「母子共に楽な方、ミルク育児」へと移行していった当時の流れであり、ミルク全盛期へ突入していったのでした。
戦後アメリカから入ってきた育児文化は「母子分離型」で、赤ちゃんをベッドに入れて「泣いてもわめいていても一人にさせておいた方が自立心が養われる」というスポック博士の理論・育児書(後に「間違いだらけの育児論」と言われ、後に博士本人も180度違う考えで改訂したというイワクの育児書)に、日本が飛びついたのが昭和40年代。「アメリカは凄い、ミルクはいい!」と持てはやされましたが、それらの結果が今であるのです。
幸い、再び様々な日本古来の文化や習慣が見直されています。母乳育児や自宅出産もそのひとつ。「だっこ、おんぶ、添い寝」の大切さが見直されてはきましたが、未だに「だっこ(ばかり)したら抱き癖がつく、泣いても抱くな」「ミルクをたっぷり飲ませて、長く寝る子が育つ」という間違った考えが横行しているのも悲しい現実なのです。(*にーにゃ編集長jeek)
参考文献/「おっぱい110番」たま出版刊 平田喜代美 著
コラム ~母乳は凄い~Vol.1
赤ちゃんが母乳をのむ事は、あごの発達を促します。
母乳を飲む時、赤ちゃんは「唇を動かす」だけでなく、舌で乳首を巻き込んだり、乳首をかんだり。頬とあごの筋肉を充分使って絞り出す様に「ぜん動運動」をしながら飲むのだそう。
その「飲む」のに要するあごの力は、ほ乳瓶の人工乳首の
倍と言われているそうです。
その為、あごがしっかり発達したU字形となり、人工乳首で育った児はV字形と、違いがはっきり現れるのだそう。
それだけでなく、あごの発達は全身の筋肉・骨格の発育や内臓・脳の発達ばかりか視力や言葉の発達とも密接な関係も。歯も強くなり、持久力や踏ん張り、精神力も育つそう。
直接母乳を飲ませる事はあご・口・頬の筋肉は勿論、全身も使います。
母乳を飲む行為は、栄養補給という目的ばかりではなく、バランスよく成長する為の全身運動なのです。赤ちゃんは顔を真っ赤にしながら、全身の力を振り絞って母乳を飲んでいるのです。